CBエフの思い出
2017年 01月 03日
1981年秋、発表されたCB750FB!
オートバイ雑誌で見たそのスタイルに一目惚れ…
知り合いのいるベルノ店へかっ飛んで行く!
キャンディーレッドカラーでお願いしまぁ~す!!
衝動購入した、若かりし熱い19歳だった…
数週間後、
新車キャンディレッドCB750FB…
キラキラに輝くエフが届く!!
CBエフのスタイルの美しさに見惚れ、
自宅の農作業小屋で暇さえあれば眺めていた…。
同じくして、
モトクロスレースをしていた、友達のHIROがRZ250を購入!
他の友達らもイッキにバイク熱が発症!
今の自動車学校で大型免許が取れるのとは違い、
皆は中免しか持っていなかった時代!
250ccと400ccのバイクが主流…
そんな中に、自分ひとり公安委員会・限定解除ライダー!(笑)
エフで10数台でのグループツーリング、
ひとりツーリングと走り回っていた…。
RZのHIROと早起きし、
蔵王ライン、エコーラインには、
数え切れないほどに走りに行ったあの頃…
エフの車重に対し、250ccの2ストRZの軽さと瞬発力!
明らかにスポーツライディングには雲泥の差があった!
HIROはモトクロスで培われたライディングでRZをコントロール、
エフを駆る俺の後ろから、追い回して楽しんでいる!
RZのあいつとのバトルは、必ず俺が先行させられた…
エコーラインの下りでのハードブレーキングに、フロントブレーキが根を上げる!
バックミラーにチラチラ映るRZにパッシングされ、
何度、ガードレールに突っ込みそうになったことか…(苦笑)
HIROのライディングセンスは最高だったし速かった…
その走りに、重いエフで対抗していたのだから、今考えると恐ろしい(苦笑)
それなりのレベルの走りをしていても、ふたりとも転ぶ事はしなかった…
ギリギリのところで寸止め!(笑)
この二年間のHIROとのバトル、
スポーツライディングの基盤を自分に構築させていた…
後に乗ったRS125レーサーなんて、
エフの重さからしたら、50バイクのように感じた…(笑)
世のバイクブームと共に峠を走るライダーが急増!
峠が走りづらくなってきた…
そして、峠でのアベレージスピードが遅く感じたし、
それ以上に、ミスした時の外的な要因が命取りとなること…
ふたりとも、このまま一般道で走りを楽しむにはリスクが大きいと感じた。
そんなある日、HIROから、
「これからは、モトクロスに専念する!」
自「じゃぁ、俺はサーキットに行こうかと思うんだけど…」
H「お前はやめておけ!」
自「何でだよ?」
H「…突き詰めるタイプだから死ぬから!」
「ロードレースはよせ、俺と一緒にモトクロスしろ…」
自「いや、俺はお前に勝てる気がしない、だからロードレースに行く!」
H「勝手にしろ…」
1983年春、SUGOサーキットライセンスを取得!
エフの保安部品を取外し、軽トラに積んでSUGO初走行に向かった…
シングルシート、バックステ、トマゼリー、ゼッケンプレート、K300タイヤ(当時はGPはない)
ドレインボルトワイヤーロック、オイルキャッチタンク…
残念なのは、ノーマルマフラーだったことか(笑)
それでも、エフのサーキット仕様、
当時としては何となく様になっていた?!(自己満足か?)
サーキットスポーツ走行はRZが全盛の時代…
当時はナナハンをSUGOサーキットに持ち込んでいるライダーは皆無…
パドックでは異彩を放っていた!(苦笑)
「はじめてのおつかい」ではなくて、ドキドキの、初スポーツ走行!
2本のストレートが長く感じたし、コースの幅がとても広く感じた時間…
30分ののスポーツ走行の後半、
だいぶスピード感覚も慣れてきた!
パスされてばかりでは悔しい、
エフと自分の小さなプライドが許さない…(笑)
第5コーナーで、
簡単にパスされた、SP400仕様のライムGPZ400、
アイツに付いて行こうと、アクセルを本気で開け始める…
最終シケイン、
今までに無く、大きいアクセル開度と、タイミングを変えGPZ400に照準をあわせた!
立ち上がりでは少し離された、
ストレートスピードはこちらに分がありジリジリ追いついた…
メインスタンド前、スピードは180km/h超えてGPZ400をパス…
’83当時は、第一コーナーはシケインも無い頃、
何Rコーナーかは記憶に無いが、かなりの高速コーナーだった。
そして、上り勾配が付いていた…
(ここでヤマハライダーの高井幾次郎さんが亡くなっている)
4速までシフトダウンし進入した!(ドキドキ)
ほぼ、平坦なストレートからブレーキング、
バイクのフロントが下がり、右にエフをバンクさせながらアクセルを開け始める!
上りの勾配にかかると同時に、
210kg超えのエフ、その分の大きな慣性モーメントが掛かり車体は沈む!!
沈みがリリースされた瞬間、イッキに伸び上がる車体…
リヤサスとフロントの押さえが利かなくなったと同時に、
エンジン重さがかかったマウントラバーがヨジレた!
強くはないフロントフレームにそれらが重なり乗っかかる…
ハンドルがアウトに、
上体を吹っ飛ばすかの勢いで左右に大きく振れた!
「ヤバい!」…瞬時に地獄を覚えた!(苦笑)
必死で、上体と上腕でハンドルをしがみつき押えた?!
何とかエフを抑えきり、転倒させないで済んだ…
「口から内臓が飛び出しそうだった!」
今まで味わったことのない恐怖体験に、
心臓をバクバクさせたままピットに入った…。
150km/h超えた速度で、ぶっ飛びそうになる体験…
サーキットは、一般道には無いハイスピードライディングであり、
危険と、常に隣り合わせなのだと実感した…
もし、コカしたら自分とエフのダメージはかなりだったろう?!
今、思い出しても背筋が凍る!(苦笑)
この時に、エフでのサーキット走行は、
それなりの補強・改造を果たさないと無理だと悟る…
ましてや、レーシング走行の初心者にはエフで走り込むなど無茶なこと?!
4コーナーのように回りこんでいる高速コーナーでは、
※進入が160R~140Rに変化するコーナーだったと記憶する。
エンジンと車体の重さの慣性に、
フレームが負けて、グワァングワァンとアウトへアウトへと膨らみ出す!
車重に対して、フォークも細くフレームヘッドも間違いなく弱い…
エフは、スーパー?ツーリングバイクだったんだ…(笑)
その日の3回のスポーツ走行限りで、
二度とサーキットに持ち込むことは無かった?!
今時代のスーパースポーツとは全く違うレベル…
’83時代のSUGOパドックは、のどかだったなと思い出す…(笑)
でもね、一般道・峠でのエフのポテンシャルは充分だった!
パワーもそこそこあったからね…70psだったかな?
遠出、ツーリングは本当に楽しかった!
全然、峠をまともに速く走れたし…(苦笑)
燃費も良かった、リッター20~25kmは走ったと記憶する…
そして、19歳から20歳にかけて俺の足となり色んな土地に連れて行ってくれた!!
「女は裏切るが、エフは裏切らない?!」と心していたから…
今の○○好きでは、考えられない若さを持っていた!(苦笑)
エフとの行動すべてが、何よりも濃い「青春の思い出」となる…(笑)
スポーツライディング、
そんな、楽しみ方をエフから教わった!
何よりも、DOHCだと醸し出すエンジンデザイン!
あの独特のエンジン音…
低回転時から加速する時のワワァアアーと独特音…
高回転時の心に響くウォオオオオという雄たけび!
何より伸びやかで上品なスタイリングが最高だった…
今でも、たまにエフが夢に出てくる位に惚れていた!(笑)
あの時の時間は、
純粋にバイクに乗ることが楽しいと教えてくれたエフ!
レースにおいての速さを求めるようになり、
どうしても資金が必要になり、
一度も車検を取ることもなく、市内の喫茶店のマスターに譲り渡した…
だが、寂しいことに、その喫茶店は今は閉店、もう存在はしていない。
たまに見かける、
キャンディレッドのエフを見かけると、
自分にしか分からない傷跡を探すのだ?!
だが、彼女だったエフとは未だに再会を果たしてはいない…
俺は、女性にしろバイクにしろ何時までもひきずる…
実に、未練がましい生き物である?!(苦笑)
今だったら、優しさを持って乗ってあげれるだろうな…
いつか、再会できることを夢見て生きている。
そして、今は亡きあいつ(HIRO)との、
楽しかったバトルの記憶も、頭から消えることはない!
「リターンライダーのひとり言」